僕は今、U.K.にいる。俗に言うイギリスってやつだ。インドから飛行機で約10時間。未だ見ぬイギリスという大国への強い憧れに想いを馳せながら過ごすには、あまりにも短すぎる飛行時間だった。
ビッグ・ベン、タワー・ブリッジ、バッキンガム宮殿。誰もが一度は耳にした事があるだろう。そしてその首都としてあまりにも有名なロンドンは、ニューヨーク、東京と共に、世界三大マーケットの一つとして数えられるほどだ。
ところでなぜ僕が今、そんな華やかでお洒落な経済大国U.K.の地に立っているのか。そう疑問に思う読者も少なくはないだろう。これまでに僕は、9/21に日本を出国して以来、台湾、タイ、カンボジア、ベトナム、ラオス、ミャンマー、インドと旅を続けてきた。それがなぜ、いきなりインドからイギリスなのか。
「ウズベキスタンの文化に興味があるって言ってなかったけ?」
とか、「トルコで気球に乗るんじゃなかったの?」
とか、あるいは、「それって世界一周なの?」
等々、想像すればきりのない的確な指摘が飛んで来てもおかしくない。それは自分でもよくわかっている。ではなぜ今イギリスなのか。その答えを知るには、僕がこれまで歩んで来た旅路を少しばかり振り返ってみる必要がありそうだ。時計の針を半月分戻してみよう。
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十一月中旬、ヤンゴンのとあるゲストハウス。もう中身のほとんど入っていない2本目のミャンマービールを片手に、iPhoneでロンドンのイングリッシュ・スクールについて血眼で調べ倒している男がいる。そう、他でもない十一月十七日の僕だ。
男は世界を巡る旅の途中、今はミャンマーの首都ヤンゴンに滞在している。これまでに訪れた国は6ヵ国。悪くないペースだ。多少の物足りなさは感じるものの、これまで大したトラブルも無く旅をして来られた。側から見れば至極順調で充実した旅だと形容することもできるだろう。しかし、当の男の眼には、そんな風には映っていない。本当にこれなのか。自分がずっと想い描いてきた世界というのは、本当に今自分の目の前に広がっているこれのことなのか。男は、いつもそんな問いを繰り返しながら旅を続けてきた。もちろんその問いに答えを見つけてくれる者などあるはずもなく、疑問符はいつも宙へ舞ったまま二度と男の手には戻ってはこなかった。そしてこの日も男は、性懲りも無く、自分のこれまでの旅をぼんやりと振り返りながら思いを巡らせているのだった。
僕は、確かに世界一周っていうテーマを掲げて出発したし、今もこうして旅を続けているわけだけど、僕にとって世界一周っていうのは、目的ではなくて、数ある手段の中の一つでしかないのかもしれない。つまり僕は、ただ世界一周を達成したかったわけじゃなくて、その先にあるもっと大切な何かを実現するための手段として世界一周という手法を選んだだけで、本来の目的っていうのはもっとそのずっと先で僕を待っているんじゃないか。そして、そのずっと先の何かに辿り着くためには、明らかに欠けているものが今の僕にはある。
どうやら男は、この夜、珍しくある一つの彼なりの真理に行き着いたようだ。正しいかどうかは置いておいて、彼が自分なりに頭を捻らせて出した答えだ。悪く言うつもりは毛頭ない。それから男は、たどたどしい英語で、ゲストハウスのスタッフに2本目のビールをオーダーした。
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ここまで読み進めれば、大抵の勘の良い読者なら、なぜ僕が今イギリスにいるのかを想像する事くらいは朝飯前だろう。そう、僕は、イギリスに英語を学びに来たのだ。今の僕にはそれが必要だった。気がつくのに二ヶ月かかったけれど、それに気づかせてくれた二ヶ月は全く無駄じゃなかったと思っている。
実は、旅を始めてまだ二週間程、確かタイに滞在していた時だったと思うが、その頃にも、英語を学ばないといけないと感じながら過ごしていた事があった。もちろん世界一周なんて英語ができなくても、さほどの苦労も無く達成できてしまうだろう。でもこのままじゃダメだ、このままだと世界は周れても、そこで出会った人や住んでる人とはほとんど意思疎通できずに終わってしまう。そう思って勝手に一人で焦りまくっていたのを今ここに告白しよう。
インターネットが普及して久しい今、ある意味で国々を隔てる壁は溶けて無くなってしまったと言っても良いだろう。世界中どこにいたって自分が欲しがっている情報は大体グーグル先生が教えてくれるから、旅なんて、携帯一つあれば言葉が喋れなくてもどうにでもなる世の中になった。でもそれが、近代文明が生んだ機会損失でもあると捉えられる人は、これを読んでいる人の中にどれだけいるだろうか。その地域に住んでいる人々や同じくそこに旅に来ている同志達とたわいもない会話や旅の話をしていく中で、ネットをただただブラウジングしているだけではわからない情報や文化、価値観に触れられる事こそ、旅の醍醐味であり、とても意義のあることなんじゃないか。そんな生意気な思いを抱きながらも、当の自分には英語が話せないという絵に描いたような板挟みの状況下で、焦りに焦って、話題のセブ島英語留学なんかをネットで調べたりもした。でも結局その時は踏ん切りがつかなかったし、期間に限りがある旅の途中で、語学留学に時間を費やしてしまう事に対してネガティブな考え方しかできなかった。
それからも、何となくの英語で旅する日々が続くのだけど、それはそれで別に悪くはないものだった。観光地を周りながら、美味しいものを食べ、美味しい酒を飲む。英語なんてできなくても、旅というのはただそれだけで楽しいものだ。海外旅行をするのに英語は必須ではない。必須ではないから、そこに目を瞑ろうと思えば、簡単にできてしまうし、ましてや国内志向の人々の中には、何それ?美味しいの?的な英語との向き合い方をしている人も少なくない。英語ができれば世界は何倍にも広がると頭では十二分に分かっているつもりでも、別に無くてもなんとかなる、問題無いっていう意識が邪魔をして、気がつくと英語を学ぶ事から遠ざかってしまっている。紛れもなく僕もその一人で、これは明らかに、日本というプチ鎖国状態の平和で豊かな国で産まれ育って来たことによる弊害の一つだ。一方で、最近は、若年層を中心に以前と比べて海外志向の人達が増えている。時流に身を委ねるならば、自ずとそうなっていくのは言うまでもない。「英語なんて当たり前」ってステージまであと少しだ。あと少しだけど、まだだめ。できなくても何とかなるっていう壁が邪魔して、その先に行こうとする人がまだ足りない。できない僕がこんなことを言うのもおこがましいけど、海外に出てきている旅行者で英語ができないのなんて日本人だけだ。ご近所の韓国人や中国人だって、そりゃあまあ流暢な英語を話す。そもそも英語なんて既に眼中にないのかもしれない。もう彼らは第三、第四言語習得のステージに乗っかっちゃてるんだよ。そんな世界を相手にこれから僕たちはどうやって戦っていけばいいのか。想像しただけで頭が痛くならないかい。
英語が喋れないながらもそれなりに楽しく旅を続けていた僕は、その途中で何度も悔しい思いをした。一緒のドミトリーに泊まっている外国人と満足に会話ができなくて相手を失望させたり困らせたりっていうのはざらで、僕を含めた何人かで会話をしていても、英語がわからない僕だけ置いてきぼりなんて状況も数え切れない程経験してきた。みんなが笑うタイミングで自分だけ笑えない時のきまりの悪さ。とりあえず意味もわからず愛想笑いを決め込んでしまう自分の虚しさ。それで、結局挨拶程度しか会話できないんなら、いっそ最初から塞ぎ込んでしまおうか、なんて逃げの思考に走っている時期もあった。こんなに面白可笑しく話すのが大好きな僕なのに、相手が外国人になっただけで途端に黙り込んで喋るのが臆病になる。想像しただけで笑えてくる。
他にも例えば、バスターミナルでチケットを買おうとしていた時に、もう今日はそのバス満員だよっていう意味の「FULL」が聞き取れなくて五回くらい聞き返した。たった四文字のアルファベットが聞き取れなかったんだよ。「フォー」にしか聞こえなかった。悔しさを通り越して申し訳なくなったな。
あとはこんなこともあった。ミャンマーでタクシードライバーが明らかに最初の言い値よりも高い運賃を請求してきているのに対して、何考えてるんだ!とか頭おかしいのか!とか色々言いたいけど、もちろん英語で怒ったことなんて人生で一度もない僕は、結局自分の怒りのボルテージを100%伝えきれないまま終わってしまった。ミャンマーのタクシーの運ちゃんが英語?と思うかもしれない。ミャンマーに限らず、英語がわからないと商売にならないような、例えば観光業に根ざした職種の人間は、それがどんなにポンコツなおっちゃんに見えても、少なくとも僕よりは形の良い英語を話す。
あとは、日本人の女の子とご飯を食べに行った時に、ソーリーって言って店員を呼んで鼻で笑われたり、どこでもっていう意味の「Everywhere」をエブリホエアーって発音してバカにされたりとか。その時はもちろん態度には出さなかったけど、めちゃくちゃ悔しかった。十個くらい下の女の子に貶される僕の英語力、思い出しただけで恥ずかしい。
こんな風に、悔しかったエピソードを挙げるとキリがなくて、それを思い出す度に、悔しさは情けなさとなってぶり返す。
そんな英語ができないことに対するフラストレーションを溜め込みながら旅を続けるうちに、ふとこの旅の終着点を考え始めるようになった。ゴールは最初から決まっていてニューヨークなんだけど、そういう物理的な場所ではなくて、なんて言うか、この世の中における自分の立ち位置っていう意味での終着地点に考えを巡らせるわけ。このまま、予定通り中央アジア、ヨーロッパ、南米、北米って順番で廻って合計二十数ヶ国を訪問しました!楽しかったです!っていう旅も別に悪くはないし、最初は俄然そのつもりだったんだけど、何となくその経験とか思い出のもう一歩先にある何かにフォーカスしてみたいっていう思いが出てきてて、それが僕にとっては英語を上達させるっていう事だったり、それを使って様々な国の人の文化や価値観をより深いところで体感したいっていう事だったりした。
よし語学留学しよう!って本気で思い立ってから、お金振り込むまでは一晩だった。ヤンゴンのゲストハウスの共有スペースでビールを飲みながら。その時の行動力には、今自分で振り返ってみても驚かされる。このU.K.の地を実際に踏みしめてみて、改めてしみじみと思うことがある。
「あの時の僕の瞬発力、ありがとう」
それだけだ。
ミャンマーの後にインドに行くっていうのはもう決めていたから、語学留学するならインドの次の国だなって考えていた。それから、どこにしようかなと思って色々調べてて、インドからU.K.までの航空券で格安の区間があるのを見つけた。なぜかGOA-MANCHESTERが11月と12月のある期間だけ、一万円を割っていた。これしかないなと思った。ポジティブシンキングの僕は、U.K.からの招待状に違いないって本気で思った。それから、授業料が高くなくて比較的まともそうなスクールを見つけて、すぐに申し込んだ。ロンドンの中心ど真ん中だった。日本のエージェントを介して進めるのが一般的で安心できるとは思ったんだけど、そんな事してたら、その日中に終わらない。次の日になって僕の気が変わっていたらどうするんだと思った。やろうやろうって思っても、一晩寝るとまた思考がふりだしに戻ってる。そんなこと今までに何回でもあった。だから、スクールのホームページから直接申し込んだ。最後のお金支払うボタンを押す時は、正直少し緊張した。iphoneを握る右手が少し震えていたのも覚えている。最後は、半ば投げやりだったかもしれないとも思う。心の中で「いけー!」って叫びながらボタンを押した。申込完了の画面が写った時の感情は今でもよく覚えている。やっちまった感とやってやった感が丁度50%ずつ。希望、期待、不安、心配が丁度25%ずつ。そんな宙ぶらりんで何が起きたか自分でもよくわかってないような状況だったけど、確かに自分が何か壁を越えられたような気がした。その壁の先に答えがあるのかはその時にはわからなかったし、これを書いてる今でもわかっていないけれど。
いくら航空券が安かったり、授業料を抑えたりしたところで、結局、物価の高いロンドンに滞在するのにはそれなりに費用が嵩むんじゃないの。航空券が安いなんて理由で選ぶには、ロンドンは少しハードルが高すぎたのでは。その通り。ロンドンの物価は高い。何もしていなくても過ごすだけでそれなりにお金がかかる。もちろん、そんなことは最初からわかっていたんだけど、一度、ロンドンで語学を学びながら生活している自分の姿を思い描くともうダメだった。その瞬間から既に僕はもうロンドンという都市の虜になってしまった。サッカーの聖地ウェンブリー・スタジアムでプレミアリーグを観戦する自分、ビートルズゆかりのアビイロードを闊歩する自分、世界の標準時に迎えるニューイヤー。想像しただけで魂が打ち震えるほど興奮してくる。だから、結局、U.K.への航空券が安かったっていうのは、決め手ではなくて、単なるトリガーに過ぎなかったのだと思っている。
それでは、留学の期間はどうしたのか。一ヶ月?いや一ヶ月じゃあ英語は身につかないだろう。二ヶ月?二ヶ月いたらまあそこそこ身につくかもしれない。いや、でもどうせなら三ヶ月。まさにこんな雑な思考で出した結論が三ヶ月だった。もちろん長ければ長い方が良いのはわかっているんだけど、費用のこともあるし、何より僕は旅の途中だった。せっかく英語を学んでも、それを駆使しながら色んな国を周るという本来の計画を成し得ないまま帰国する事はできない。そんな風にして、旅と留学のバランスをとりながら見えてきた期間もまた三ヶ月だった。本当はバランスなんてとらずに突き抜けた方が良いのかもしれないとも思う。だから、三ヶ月後には、もう三ヶ月間どこかで留学なんて発想に辿りついている可能性も無くはない。その時はその時で、僕の突拍子のない決断を、我が子の成長でも見守るかのような温かい眼差しで迎えて欲しいと思う。
何はともあれ、新しい挑戦に一歩踏み出した僕は、まだ何も達成しちゃいないくせに、何だか清々しい気持ちでいっぱいだ。籠の中から抜け出す時の鳥はもしかするとこんな気分なのかもしれない。あるいは、僕の前には初めから檻なんてなかったのかもしれない。人間ていうのは、自分で自分の檻を作るのがとても上手な生き物だ。
目の前に、本来ならありもしないような檻を勝手に作り出して、それが原因で何かに一歩踏み出す事ができなくてウジウジしている人がいる。そう、他でもない、昨日までのあなただ。でも今日からは違う。兎にも角にも、まずあなたがしないといけない事は、やみくもに檻を取り払おうとする事ではない。檻の正体を正確に把握する事と檻との距離を測る事だ。
長くなってしまったけれど、結局、僕が伝えたかった事はとてもシンプルだ。別に英語を学べと言っているわけでも旅に出ろと言っているわけでもない。何でも良いから衝動を大切にする事。そしてきっかけを見逃さないようにする事だ。引き金の無い拳銃など存在しないように、きっかけの無い革命など起こり得ないのだから。
hiroyuki fukuda