ブリュッセルがオードリーの出身地だと知って、記事の題名を「ファッキン・ステューピッド・ブリュッセル」にしてしまったことをまあまあ後悔している。もちろん春日と若林のことを言っているわけではない。そう、超有名ハリウッド女優オードリー・ヘップバーンだ。「ローマの休日」は何度見返したかわからない。「ティファニーで朝食を」は、映画はもちろん、元ネタの小説も英語版と翻訳版をそれぞれ一冊ずつ持っているくらい好きだ。さて、僕のオードリー好きの話についてはまた機会を改めるとして、話を本題に戻そう。
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時刻は21時。iphoneとクレジットカード1枚以外の全ての貴重品を失っているにも関わらず、コーヒーショップで呑気にコーヒーをすすっているアジア風の顔をした男がいる。
店内は異様な空気に包まれていた。客は、アジア男を除けば全てアラブ系男性。奥の方では、数人の男達が金を賭けているのかいないのかよくわからないカードゲームに精を出していた。店主と思しきジローラモ系の男性と女性スタッフの2人で店を切り盛りしているようだ。
なぜアジア男は、呑気にコーヒーなんて飲んでいるのか。少し時計の針を戻してみよう。読者もそろそろこの流れには慣れてきた頃だろう。そう、お察しの通り私は、時計の針を戻すのが得意だ。
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20時過ぎ。宿泊先のホステルを出たアジア男は、犯行現場周辺に戻っていた。まさか「犯人は犯行現場に戻る」という犯罪心理に可能性を見い出したわけではないだろう。居ても立っても居られず、何か行動を起こしたかったのかもしれない。
犯行現場周辺は、お世辞にも綺麗とは言えない。道路脇の至るところに簡易ゴミ捨て場とでも呼ぶべきゴミの塊が散在している。アジア男は、その側を通る度に、注意深く目を配り、自分のバッグが捨てられていないかをチェックしているように見えた。
「どうせこんなところに捨てられているわけがない。でも何もしないでいるよりはマシだ」
私には、アジア男が考えていることをこの手に取るように感じることができた。
一通り周辺を歩き周った後、アジア男はコーヒーショップに向かった。そして店内に入るやいなや、誰彼構わず声をかけ始めた。
「近くでバッグが盗まれたんだ。誰か俺のバッグを知らないか」
「店の前にいた4,5人の男達が怪しいと思うんだ。誰かそいつらを知らないか」
最初は、何を言っているんだこいつはと、訝しげに様子を窺っていた客達も、アジア男の必死の問い掛けに徐々に状況を理解し始める。そんな中店の奥から現れたジローラモ系のちょいワル男がアジア男に話かけた。
「どうしたんだ?」
「バッグが盗まれた。店の前の4,5人の男達が怪しいと思うんだ。奴らを知らないか。バッグにはパスポートも入ってるんだ」
ジローラモは、少し考えた後、1時間に戻って来いとアジア男に伝えた。犯人に心当たりがあるのかもしれない。その申し出に対しアジア男は、ここで待たせてくれと頼み、店内の席に座っていると、ジローラモがコーヒーを持ってやってきた。どうやら一杯サービスしてくれるらしい。
「探してみるから待っていろ。見つかるといいな。でも見つからなかったら諦めてくれ」
そう言い残すとジローラモは、店の内外を行ったり来たりしながら、客や店の外にいる男達に尋問を始めた。
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僕が今までの人生の中で飲んできたコーヒーの中で、一番味の無いコーヒーだった。この時のコーヒーの味を全く思い出すことができない。確かにコーヒーは飲んだけど、味に気を配る余裕は無かった。ただ、心当たりがありそうなジローラモを見ていると、もしかしたら見つかるかもしれないという希望が芽生え始めていた。唯一の頼みの綱であり、そこそこの英語を操ることができるこの男がとても頼もしく見えたのも事実だ。
40分くらい待っただろうか。ジローラモが戻ってきた。ちょっと来いと言われ、一緒に店の外に出た。ジローラモはズボンの後ろポケットから僕のパスポートを取り出して返してくれた。
「きた!」
めちゃめちゃ嬉しかったのを覚えている。ただ、パスポートが返ってくるなら他のものも返せよと、欲が出た。当然のことだろう。
「他のものはどこだ?パソコンは?クレジットカードも入っているんだ。お金はいらないから、それだけでも返してくれないか」
ジローラモ曰く、他のものは犯人が持ち去ってどこにあるかわからない、見つかったのはパスポートだけ。明らかにおかしいと思い食い下がるも、状況は変わらなかった。ジローラモは、店の奥で客達とカードゲームを始めてしまった。
とにかくパスポートは見つかった。これで戸籍謄本のFAXを日本から送ってもらったりという極めて煩雑な作業は回避することができた。最悪の状況は乗り切ったと安堵する一方で、全く納得していない自分もいた。
店の外で座って、戻ってきたパスポートをぼんやり眺めながら、今の自分にあと何ができるかを考えていた。考えても答えは見つからない。見つからないけど、このままホステルに帰っても気持ち良く眠れるはずがない。
そんなことを考えていると、店内の一番出口に近いカウンター席に座っていた男が近づいてきた。男は瓶のコーラを僕の方に差し出すと、フランス語で何かを言った。「これでも飲んで元気出しな」とでも言ったのだろう。どうやらこの男は、全く英語が喋れないらしい。言葉では全くコミュニケーションが取れなかったが、とにかく優しい目をしていた。
僕がコーラを飲み切ると、今度は、その男は、どこかへ行こうと言い出した。言葉が通じないのでどこなのかは全く理解できないが、とにかく僕をどこかへ連れて行きたがっているのはわかった。
時刻は22時を過ぎていた。よくわからないが、とりあえずこの男について行ってみようと思った。
続く。
hiroyuki fukuda